回答
2011/11/02 00:09
アカツキさん
▼回答コメント
見るところっていうのは、大方合っていると思います、私は。
ですが。ですがですよ?それって本当に「本人」の為なのでしょうか?本人にとってバスケットがそのような位置づけになければ、ただの強制でしかないわけですし、はっきり言ってしまえば、「チームの為に見ろ」って言葉の裏返しです。ってことは「俺(監督)の為」にとも捉えられますよね?これは大人のエゴでしかないと私は思っています。
だって自分の為に、と思うなら、言われずとも見ます。人間、必要と思えば自然に受け入れるようにできてます。ダイエット、勉強、トレーニングもそうじゃないですか?
私はそんな押し付けをせず、ただただ「観戦」で良いと思っています。何故なら、興味のあるもの(ここではバスケとしましょう)なら「観戦」していれば「楽しい」と感じるはずです。
単純に観戦ができず、飽きてしまうなら、恐らくですが、バスケットをしているときも「楽しさ」を感じていないのではないでしょうか?
観戦していて、退屈や集中力の足りなさ、ではないよう気がします。
回答へのお返事
2011/11/02 09:11
ちびちびちびっきーさん
▼お返事
言えてますね…。ありがとうございます。
確かにそのとおりだと思います。とくに「楽しさ」の部分は思い当たる節があります。
興味があまりないのかな?
個人的に2,3、人で観戦する場合(自分が見たいと思っていく試合)はよく見ています。ですが、チームとして上級生に付いていって観戦する場合は遊ぶ傾向にあります。やっぱり「自分で」と望んでしている事なのか否か?の違いでしょうか?子どもって人数が増えるほど、遊びに走るみたいです。
ひとりひとりの意識や意欲やバスケに対する気持ちというところでしょうか?
私は子どもと観戦する場合、「今のすごかったね!」とか「リバウンドとるの上手い子の動きをみてごらん」などど声をかけながら観戦するのですが、それはどうなんでしょうね?大人も一緒になって観戦するのもひとつの手なのかな?と。子どもにしてみればうっとおしいのかなぁ?
一度、コーチが一緒に観戦し、動きのポイントを説明しながら観た時は、しっかり観戦していたように思います。
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