回答
2008/10/31 22:44
絶望○○さん
▼回答コメント
暴力・怒る(鬱憤晴らし、支配目的)、体罰(躾、教育目的)、叱る(躾、教育目的)
体罰は指導、教育的目的で行われるがその必要性は低いと思う。
体罰を受ける側がそれを受け容れるかによって暴力か体罰か分かれるという意見もあるが
受ける側が分かっているならば言葉で十分なはず。必要ならばメモを取らせればいい。
分からない場合に必要なのは説明であって罰ではない。
暴力を使って相手を支配すれば自分の言うことをきくようになるため指揮は採りやすくなる。
しかし、それは支配であって指導ではない。
奴隷や犬を躾と称して鞭を打ち言うことをきかせるのと同一である。
生死に関わる危機的状況ならいざしらず
バスケにおいて相手を支配し言うことをきかせる必要性があるとは考えがたい。
直接は関係ないが、「怒る」と「叱る」を混同している大人が
職場でも部下に対しパワーハラスメントを行い返って生産性を低下させている。
叱る場合は具体的、論理的に、が鉄則であると思う。
怒られなければ何をやっても良い、怒られなければ何もやらない。
自ら考え、行動する。
どちらが良いだろうか?
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