回答
2008/09/19 10:11
ごうさん
▼回答コメント
返信2回目です・・・。
ごもっともなお返事有難う御座いました。
私が考えているのは、教育(者)も指導(者)も同じで、
正しい事を教えるだけではなく、何が間違っているのかも
教える事が重要だと考えています。
その「何が間違っている」かを説明しても同じ過ちをする時、
身体に与える罰を利用する物だと考えます。
勿論、世間では体罰・暴力はいけないことは理解していますが、
悪く言えば、中学高校時代は「殴られるのが嫌だから
しっかりとやらなくてはいけない」と思うことが多く、
間違っている事を詳しく説明しても、理解する事ができず、
同じ事を繰り返す事が多いのです。
言葉で理解できないのであれば、恐怖心からでも
理解する事が出来る年齢の内は、私は体罰を肯定します。
私の場合、教員免許を取得している事と、
都道府県市町村にバスケの指導者として登録している事で、
両方の立場を理解しているつもりになっているだけかもしれませんが、
今は昔の体育会系の考えでしかないのかもしれません。
回答へのお返事
2008/09/19 20:56
レイバックさん
▼お返事
お付き合い頂いてありがとうございます。
さて、ごうさんのお考えによると、間違っている事を何度も説明して分からなかったら体罰もやむなし、と言う事ですが、そうしますとバスケの指導でシュートフォームが違う、フォーメーションを間違ってしまった時に、何度も言って出来なかったら体罰すると言う理屈になります。
学校で服装が悪い、授業で話を聞かない事とは状況が違うんではないかと思うんですね。
バスケを教えるのではなくバスケの出来る能力を引き出してあげる事がコーチの役割ではないかと思うのです。
教育と指導を分ける必要性があると思ったのは、人を育てる事とバスケが出来るようになる事は違うと感じたからなんです。
人を育てようとするから体罰の考えも出てくるでしょうし、行き過ぎれば暴力に発展するんではないでしょうか?
学校では人を育てる事はしっかり行い、バスケの指導はバスケだけに集中する…そういう枠組みで出来ないのでしょうか…
理想論なんでしょうね。上手くなって欲しいという思いはごうさんも私も共通していると思います。
長くなりましたので続きはまたと言う事で…ありがとうございます。
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