回答
2008/09/18 08:06
ごうさん
▼回答コメント
私は暴力と言うか体罰を肯定出来るタイプです。
しかし、指導者側で暴力と体罰を分けなくてはいけない事と
選手側も暴力ではなく体罰として捕らえなくてはいけません。
極端に言えば、暴力とは無意味に暴れ相手に傷を負わし、
体罰とは悪い事を身を以って罰を味わう事を意味します。
私は「躾」の為であれば体罰を必要と考えますし、
無意味な暴力は反対です。
中学や高校、或いは学生時代には、
集団生活や集団行動、善悪等を理解し見につける事が必要で、
その為には、極端に言えば「右向け右」になれる考えを
植え込んでおかなくてはいけません。
「1+1=2」の定義を教わったように、
なぜ1+1は2なのかを考えてもしょうがない事を
スポーツに置き換えて教えなくてはならないと思います。
「大きな粘土で1+1でくっ付けたら、大きな1じゃん」
と思っている様な人を集団行動の為に、仮に
“監督が1+1=5と言っていても従わなくてはいけない”
事の重要性・必要性を理解させる事が重要だと思います。
間違った事をして体罰をされている事を認識出来る、
選手を育てなくてはいけない事も重要かと思います。
私が以前、自分の出身中学を3ヶ月間限定で指導した時、
選手・保護者に「体罰と罰走どちらが良いか選べ」と言い、
選手の望んだ方法で罰を与えました。
選手も保護者もその方が何の為の罰なのか、
何が原因で罰を受けているのかを考え理解し、
成長の度合いが変わったように感じました。
回答へのお返事
2008/09/18 19:44
レイバックさん
▼お返事
ごうさんの回答には2つの思いが込められているようなので整理してみますね。
1.暴力≠体罰であって、体罰をするのは躾の意味がある。
2.間違った事をして体罰をされていることを確認出来る選手を育てるため。
1.は教育者的な立場であって、2.は指導者的な立場から語って頂いているようです。
1.については教育論としてここではとりあえず置くとして、2.に対してですが、間違った事をして体罰されたら、私でしたらたまったもんじゃありません。間違っていたら、どうして間違ったのか、身振り手振りで選手に理解させたらいいだけではないでしょうか?
もし、態度が悪く理解しようとしないのであればバスケを学ぼうとしていないのですから、退部させたらいいだけではないでしょうか。
教育と指導、この関係については分ける必要性がある気がします。
私のごうさんに対する認識不足の所があると思いますが、失礼を承知で思いをお伝えしました。ありがとうございます。
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